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ドクターヘリ騒ぎ

不整脈の薬・インデラル。

一日4回服用のこの薬は、単純計算で6時間おきに飲ませることになる。
食事の時間もあるので多少前後しても構わないとのことだったけれど、朝晩だけ飲めばいい他の薬と違って少々面倒だった。
でもあの恐怖の不整脈を思えば・・・と、頑張って飲ませられていた。

そんな中、循環器外来でIPAS手術の際に解除した右肺静脈狭窄が再び起こっているらしい診断を受けた。
早めにカテーテルをやった方がいいということで、2009年10月9日入院、13日カテ、と日程が決定。

予定通り体調を整え入院。
でもいつもより早起きをしたヒカルは家で朝食をろくに食べなかった。
病院に着いても入院時の検査で昼食は半分に制限。
夕食はさすがに空腹でもりもり食べてたけども。

ちょうど世間は翌日から3連休ということもあり、シーズン初のシナジスを打ってから外泊扱いで帰宅。
10/12の午前中までに病院へ戻る予定でいた。

翌10/10。
忘れもしない旦那の誕生日の朝。

珍しく7時前に起きたヒカルはパジャマのままで遊び始めた。
でも起きて10分近く経った頃、急にコテッと前かがみになって眠ってしまった。
声を掛けても眠ったまま起きない。

まだ眠かったのかな?と思い布団に寝かせつつも、大きめの寝息をしたりしていつもと少し様子が違うように見えたので、できるだけ目を離さないようにしていた。

それから1時間以上ヒカルは眠ったまま起きない。
なんだか心配になってきて、病院へ連絡して戻ろうか・・・と考え始めた時、ふと自傷行為で血色が悪くなっている右手の指先が目に入った。

「・・・ここってこんなに色が悪かったっけ・・・?」

こう思った時、体をくまなく確認すればよかったのだけど、これ以上薬を飲む時間を遅らせたくなかった私は、顔をぺちぺちと叩いてヒカルを起こした。
すごく眠そうな顔をしてようやく起きたヒカル。

朝食をとったら病院へ戻ろう!と決めて、朝食を食べさせ始めた時、スプーンを持ってるヒカルの右手がぶるぶる震えていた。
そして、震えるスプーンを噛んだまま一点を凝視し始めた。
その異様な光景に一気に私の頭の中が「痙攣だ!!!」という言葉でいっぱいになり、急いでスプーンを離し体を横にさせた。

スプーンを持っていた右腕の袖をめくったら腕全体がチアノーゼで見たこともないような紫色に・・・!!
痙攣も手や腕だけじゃなく体がビクッと仰け反るようになり、慌てて旦那とこども病院へ連絡した。

循環器の先生に「自家用車だと時間がかかるから救急車を呼んだ方がいい」と言われ、119番。
かかりつけは静岡こども病院でカテーテル入院の外泊中、先天性の心疾患、強いチアノーゼと痙攣を起こしていることを伝えて救急隊の到着を待った。

幸い5分程度で到着してくれて、すぐに酸素吸入。
ヒカルの意識は起きたり薄れたりと危険な感じに。
この日は天気も良く、他の要請もなく待機していたことから、ドクターヘリも早々に手配してくれた。

私も救急車に乗り、ドクターヘリが降りる近くの中学校へ。

そこでドクターヘリに乗っている先生が診察。
私はとりあえず先生に診てもらえてるということに少し安心して気持ちが落ち着いてきたおかげで、あることに気付いた。

Q.妊娠7ヶ月の私はドクターヘリに乗れるのか?

A.乗れるわけがない

ヘリの整備師さんにも「妊婦の方は乗れません」と言われたので、急遽旦那に乗ってもらうことに。
ドクターヘリに乗ったヒカルと旦那を見送った後、私は車で静岡へ。

こども病院へ着いた時には、ヒカルは入院していた循環器センターの一般病棟ではなく、PICUにいた。

診断結果は、インデラルの副作用による低血糖の発作の痙攣。
低血糖は半日放っておくと脳に障害が残るほど危険だと説明された。
痙攣が起きてる時間が長ければ長いほど、体の震えが治まるのも遅くなるのだそう。

朝、急にヒカルが寝始めた時のことを思い出し、もっと早く体調の変化が深刻なものかもと考えていれば・・・と後悔した。
鈍い母親でごめんね・・・。

インデラルはこの日より服用中止に。

念の為にとった脳波に異常がなかったので、2日後には循環器センターの一般病棟へ転棟。
しかし、予定していたカテは勿論延期。

その後、病院内で体調管理をしつつカテが行える日を待ったが、予定日の2~3日前には鼻水が出たり微熱が出たりして、計3回も延期になった。

結局カテが行えたのは、最初の予定より2ヶ月も延びた12/10。
妹のひなたが生まれた日になった。
ヒカルのカテ前日に破水してしまったので、立ち会い出産を予定していた旦那に「KYな親子だな(苦笑)」と言われたという・・・( ̄∇ ̄;)

それはさておき、カテの結果は、右肺静脈狭窄はカテーテルが通らないほど進行していて、右肺の圧も52というありえない数値だった・・・。

この頃からフォンタンにいけても片肺フォンタンになるだろう・・・という話が出始めた。

そして、手術前にアブレーションを受けることになり、今に至ります。
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退院へ

一般病棟へ出てきてからも、ヒカルの反応はよくなかった。

声を掛けてもこちらを見ない。
視界に入っても目が合わない。
手を握っても握り返してこない。
などなど・・・。

私には低体温治療の影響なのか脳内出血の後遺症なのか分からず、ただただ不安な毎日。

I先生には何度となく大丈夫なのか聞いてしまった。
先生は「低体温治療後は大抵今のような状態になります。2週間くらいかけてだんだん戻ってくると思いますよ」とその都度説明してくれた。

そして徐々に自分から手を動かす、寝返りをするといった動きが出てきて、1週間くらい経った頃には、無表情ながらも自分からこちらをみたり、声掛けに反応するようになった。

更に1週間後には少し笑顔も出るようになり、プレイルームで一人遊びも出来るように。
ようやく私も「安心していいのかな・・・?」と思えるようになってきた。

その後、心エコーの結果で手術の際につけたシャントの血流が少ないということでカテをやることになった。
IPAS絡みでカテを3回も・・・。
カテ自体は無事に終わったけれど、肺動脈or肺静脈への懸念ありという感じだった。
手術直後なので、今後の血管の成長次第・・・ということに。

あと、気になっていたことがもうひとつ。
鎮静剤を切ってから、右手の人差し指と中指を噛むという自傷行為をするようになっていたこと。
かなり強く噛むので、指先の皮膚はめくれ、爪も割れたりはがれたり。
誰かが面会に来ている時以外は、退院までの間、肘を曲げられないよう厚紙で固定されていた。
退院後には治まったけれど、血色は他の指先より悪く、爪も少し変形気味。
ホント、いろいろある子です・・・。

そして、6/18になんとか退院。
その際、不整脈の薬としてインデラルが増えた。

退院後はしばらく表情が少ない気がしたけど、以前と同じような生活を送ることが出来た。

浜名湖SA

夏にはこうしてお出掛けできるようになるなんて、波乱の入院中は想像も出来なかった。

でも退院から約4ヶ月後、インデラルが原因でまたも事件(?)は起こる。
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脳内出血

ヒカルの不整脈がようやく落ち着き、鎮静剤を切った日、母と面会へ行った。
この頃私のつわりがピークで、1人で静岡までの運転は危険ということで、私は仮泊室を出た後実家へ戻り、面会は旦那か母の運転で来ていた。

2週間ぶりに目を開けているヒカルを見てとても嬉しかった。
でも声をかけても反応がない。
こっちからヒカルの視界に入ってもなかなか目が合わない。

長期の低体温治療と鎮静剤でまだ頭がぼんやりしてるせいと先生に言われて、そういうものなんだと思っていた。

私のつわりがキツかったこともあり、1時間半くらいで面会を切り上げ帰宅。
母と「目を覚まして本当に良かった」と喜んでいた。

その日の晩の19時頃、旦那から電話がかかってきたので「今日のヒカルの様子を知りたいのかな?」と思って出てみたら、とんでもないことを言い出した。

「今こども病院のI先生から電話があって、ヒカルが脳内出血起こしたって」

・・・え!?
だって今日目を覚ましてたよ!?

聞けば、私達が帰った後、ヒカルが痙攣をしだしたという。
鎮静剤は麻薬と同じなので、長期で使っていたところいきなり止めれば副作用が出る場合がある。
でも痙攣は徐々にひどくなってきて、原因は脳だと分かり、調べたら脳内出血をしていたという。

「今CTを撮ってて、結果次第では緊急手術になるからその時はすぐ病院に来てくれって。」

旦那の言ってることがなかなか頭の中に理解として入ってこず、茫然としてしまった。
手術前のリスクとして説明された合併症が起こったなんて。

脳内出血はいつ起こったかで脳に与える影響は全然違う。
手術中や術直後に起こっていたとしても、鎮静剤を使っているため症状が見えないので気付かない。
鎮静剤を切って、ようやく分かったりする。

もしヒカルがそうだったら・・・?

電話を切った後、だんだん今の状況が分かってきて、涙を堪えながら念の為の泊まり込みの支度をした。

2時間後の21時頃、再び旦那から電話。

脳内出血は確かにしていたけれど、手術をするほどではなかった。
出血した血液はそのまま吸収されていくだろう、とのことだった。

この言葉を聞くまで、生きた心地がしなかった。本当に。

翌日、再び母と面会へ。
先生から説明を受ける。

出血自体は少なく、血液は吸収されていくだろう。
今はまだ低体温治療の影響も残っているので、実際に脳にどんな影響があるかは意識がはっきりしてこないとなんともいえない。
念の為入院中に脳波をとりましょう、とのこと。

その後、思っていたより早く一般病棟に転棟したものの心配は尽きなかった。
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術後の不整脈

ヒカルが手術入院する数日前、私が妊娠していることが分かりました。
手術当日には既に軽い胸のムカつきはあり、病院に泊まりこんでいる間に本格的につわりの症状が出てきてしんどくなってきました。

体調面からシャントやグレンの時のように細かく術後の経過を記しておくことができなかったので、私の記憶を頼りに書いていきます。
医学的に間違っている点や曖昧なところがあったらすみません


***********************************************


手術の翌日。
朝の面会は8時から15分間。

そこで、ヒカルが夜のうちから頻脈の不整脈が出はじめたと言われた。
術中は不整脈が出なかったから安心していたのに・・・。

午後以降は体外式ペースメーカーを使ってもコントロールするのが大変な状態に。
循環器の先生に、どの薬がヒカルの不整脈に合うのかいろいろ試しているところと説明された。
不整脈に種類があるように不整脈の薬にもかなり沢山の種類があるし、投与後の経過をみないと効いているか判断できないので時間がかかるらしい。

翌日になっても発作は治まらず、モニターの心拍数は180台。

先生のお話では、ペースメーカーで正常な心拍を保つには実際の心拍数より早い拍数で打たせることになる。
今はギリギリライン。
心拍数が200ともなると、心臓が震えてるような状態で血液を送り出すことが出来ない。
そうなると体中に酸素が行き渡らなくなり、脳・腎臓・肝臓、他にも重要な臓器に影響が出てくる。
もしこれ以上脈拍が早くなるようなら、人工心肺を回すことになる、と。

・・・人工心肺。

1年半前、閉胸できずに戻ってきた時のことを思い出した。
この時は早く不整脈が治まってくれと祈るばかりだった。

しかしヒカルの不整脈はしぶとく、なかなか治まってくれない。
そして、脈拍を落ち着かせるために低体温治療をすることになった。

人は起きてる時より寝ている時の方が脈拍は少なく安定している。
体温が下がれば更に脈拍は少なくなる。
あえてその環境にして不整脈を出にくくすることに。

ヒカルの上からは冷房、シーツの下には冷水パッド、体のまわりには氷枕や氷嚢、胃の中にも氷水。
見てるだけでもこっちが凍えそうな状態にされ、体温は33.2度。
ここまで下げないと不整脈が落ち着かないなんて・・・。

ここから不整脈が出ないのを確認しつつ、数日かけて本当に少しずつ少しずつ体温を上げていった。

しかし、35度台まで上がったところで再び不整脈の発作。
また33度台に下げて、不整脈が落ち着くのを待ってから体温を上げることに。

いつになったら目を覚ますのかというより、目を覚ます日が来るのかさえ心配になるほど不安な日々が続いた。

その後、1週間かけてようやく平熱まで戻り、鎮静剤を切って目を覚まさせることができた。

でもまた次の問題が起こる。
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IPAS手術当日

2009.5/12

手術当日。
朝、8時頃に病院到着。

ヒカルは病院での起床と絶食に少々ご機嫌ななめ。
私達の顔を見たら抱きついてはきたけど、ニコリともしない
飲み物すらダメな時間帯になっていたので、とにかく一緒に遊んで機嫌をとりつつ誤魔化した。

8時半前にお尻から眠くなる薬を注入。
薬が効いてきたら酔っ払いのようにヘラヘラしはじめた。
この状態って見てると結構面白い(笑)
手術前の緊張した空気を和ませてくれます。

I先生に呼ばれて、ヒカルを抱っこしながら手術室前までお見送り。
旦那と「待ってるから頑張っておいで」と励まし、手をギュッと握ってから看護師さんへ預けた。
ヒカルはキョトンとした顔をしたまま、看護師さんに抱っこされて手術室へ。

そして長い一日が始まりました。

私達は手術室横の家族控室で待機。
時計をチラチラ見ては、まだ開胸して癒着をはがしてるころかなぁとか、今心停止させてるんだろうかとか考えていました。

夕方、S先生に呼ばれて面談室へ。

IPASは無事に成功。
弁形成は自己弁だけでの形成ができなかったので、ゴアテックスを使用。
右肺静脈狭窄解除も心臓に近い場所だったので予定通りできた。
その際の心停止は110分。(安全に心停止させていられるのは120分まで)
術中の不整脈はなし。

全ての施術が予定通り行えたことは勿論、人工弁にならなかったのと不整脈が出なかったことに一安心して、面会が出来るようになるまで再び待ち。
19時過ぎにようやくCCUで面会できました。

帰ってきたヒカルは、沢山の点滴と輸血に囲まれ、行く前よりも顔が浮腫んで眠っていた。
何度も見てきたこの光景も見慣れたくはないもので、やっぱり切なかった。

僅かにさわれる頭と指先に触れ、いっぱい褒めてあげた。

まだ処置が残っていたので、この日の面会は15分程度で終了。
連絡が来ないことを祈りつつ、病院内の家族仮泊室で眠りについた。
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バンビ

Author:バンビ
先天性心疾患(無脾症候群)の息子・ヒカルと娘・ひなた、主人と私・バンビの家族の日記です。
ヒカルは2010年11月にフォンタンを終えて現在5歳。
幼稚園年長さんです。

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