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退院

2008.1/6
旦那と面会へ。
浮腫みが更にとれて、顔も身体もひと回り小さくなっていた

ミルクが経口で飲めるようになったので、久しぶりに抱っこしながら飲ませる。
頭を撫でるとニコニコ笑って機嫌が良かった

1/8
電話でヒカルの様子を確認。
なんと、お昼前に循環器の一般病棟の個室へ転棟に!
脱・CCU!!

1/9
面会へ行ったら部屋が個室から大部屋になっていた。
体重は術後ガクンと減っていたけど、3004gとようやく3000g台になった。
少しずつ増えてきたし、順調に回復。

I先生に会えたので話を聞くと、うまくいけば来週にも退院できるかもしれない、と。
思っていたより早く退院話が出てびっくり!
自宅の準備に焦る

1/13
旦那と一緒に面会へ。

初めてヒカルの沐浴をやる。
看護師さんに教えてもらいながら要領の悪い手つきで洗ってあげる
旦那が横で笑いながらデジカメで動画撮影。(←だから余計に緊張したんだって!)
酸素のカニューラをつけたままの沐浴だから、ちょっとやりにくかった。

1/16
19日の退院が決まる。
在宅酸素になったので、業者さんから酸素濃縮器と酸素ボンベの使い方を教わる。
もうすぐ帰ってくるんだなぁという実感がじわじわ。
でも逆にちゃんと出来るか不安にも・・・。

1/17
業者さんが自宅に酸素濃縮器を設置しに来る。

酸素

1/19
遂にヒカルの退院日!

旦那とI先生からの退院前説明を聞く。
手術や入院中の経過、注意事項、薬・・・。
初めての育児というだけでも戸惑うのに、うまくやっていけるか正直怖かった。
先生は「皆さん最初はそうですよ。一緒に生活してくうちにだんだん慣れていくし、体調の変化も分かるようになります。頑張ってください」と励ましてくれた。

生まれてから2ヶ月以上の長期入院。
ヒカルは本当に頑張った!!
退院おめでとう!!!

病棟の先生・看護師さんに挨拶をして外へ。
初めて感じる外の空気は1月ということもあって冷たく、日の光にヒカルは眩しそうにしていた。
そして緊張しながら帰路へ。

車の中ではずっと眠っていたけれど、あと20分ほどで着くというところで起きてしまい、延々泣きっぱなし
おもちゃであやしても効果なし。
あまり泣き過ぎると心臓の負担になるのに泣きやんでくれず、後部座席にいた旦那は困り果てていた

自宅に着いた早々おむつを替え、ボンベから酸素濃縮器に切り替え、ミルクを飲ませ、とバッタバタ。
一段落ついた時には二人とも一気に疲れてしまった(^_^;)

こうして慌しく大変だけれど幸せな家族揃っての生活がスタートした

ヒカルとひよ
カニューラを付け替える時に撮ったスッキリ顔
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人工呼吸器抜管

2007.12/27
NO(一酸化窒素)が終了。
少しずつ麻酔も減らしていくことに。
筋弛緩剤の点滴も終わったせいか頭の芯が起きはじめているようで、清拭したり吸引したりすると微妙に目蓋が開く
でも瞬きするわけじゃないからちょっとホラー

夕方からは鼻水・よだれがすごくて、吸引してもすぐ出る。
まだ自分で飲み込めないから、まぁ仕方ない。
鼻ちょうちんになってピヨピヨと音まで鳴ってたのには笑えた(* ̄m ̄)プッ

やっと大きな山を越えたって感じで、面会に行っても自然と笑みがでる余裕が出てきた。

12/28
急変する可能性のある48時間が何事もなく経過。
ヒカルが安定していて先生からもOKが出たので、私は帰宅することに。
久々の自宅は・・・掃除のしがいがある状態だった

12/29
電話でヒカルの様子を確認。

I先生から、人口呼吸器を抜管したと聞く。
完全に離脱できるかは今後の状態次第。
気になっていた長期開胸による感染は、血液検査の数値(CRP)が下がってきているから大丈夫だろうと。
ただ、左の肺の回りに水が溜まっていたので、針を刺して60ccほど抜いたとのこと。

心配事はまだあるけれど、少しずつ前進・・・かな。

12/30
結局自発呼吸が安定せず、人工呼吸器離脱はならず・・・
長い時間人工呼吸器をつけていると、なかなか一度で離脱するのは難しいらしい。

でも目を覚ましていた!!
まだ眠り薬が少し効いているのか焦点が定まってないような感じだけど、18日振りに目を開けている顔が見れて感無量に
年内に見られるとは思ってなかったから嬉しい~

時々痰が上手く出せなくて、はくはくしてすぐ呼吸数が上がる。
そういう時目を見開くから苦しそうで怖かった・・・(>_<)

薄めたミルクをNGで流し始めたので、少しずつ体力がつきますように・・・!
年内最後の面会だったので、小さな干支のお正月飾りをさせてもらって帰宅。

1/2
年明け最初の面会は、初詣渋滞にハマる
東名を使えば1時間半で着くところ3時間もかかる・・・。疲れた。

でもその疲れも吹き飛ぶことが!
ヒカルが人工呼吸器から離脱していた!!
しかも浮腫みがとれて、別人のように目が大きくなっていた。
ヒカルのベッドへ近寄った時、間違えたかと思って名前を確認しちゃった

看護師さんに伺うと、お昼前に人工呼吸器を抜管してから一度呼吸が不安定になったものの、その後は安定して自分で上手く呼吸ができているとのこと。
やったーーー!!頑張ったね!!!

髪もシャンプーしてもらったらしく、ぺったりだったのがふわふわしていた(笑)
私達がお年玉をもらったような気分で、とても嬉しいお正月になった
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閉胸再手術

2007.12/22
内線で呼ばれることなく24時間が過ぎる。
急変するとしたら24時間以内が多いので一安心。

輸血が終わり強心剤が減るが、昨晩から胸水が出はじめる。

12/25
相変わらず胸水が出て血圧も高め。
でも利尿剤のおかげで顔の浮腫みがとれてきて、かなりスッキリ。

翌日の26日に閉胸再手術になる。

12/26
15時からF先生とI先生の執刀で閉胸再手術。
今回は旦那も一緒に待機。

発作が起きませんように~とずっと願いながら2時間。
家族控え室の内線で無事に終わったと連絡が入る。
良かった~!!

18時頃にCCUでヒカルと面会。
「お帰り。やっぱりお父さんがいたからよかったのかな?えらかったね」
嬉しさと安心で思わず声が上擦ってしまった。

F先生のお話では、今回は発作も起きず順調に閉じられたとのこと。
結局、前回起きた発作の原因は分からなかった。

閉胸はできたけど先生も慎重になっているようで、48時間は気が抜けない。
本当に怖い病気だ・・・。
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人工心肺離脱

2007.12/19
朝・昼・夕・夜の4回面会へ。
昨日から大きな変わりはなく、落ち着いている。
ベッドの横で動いている人工心肺装置はゴウンゴウンと音をたてながらヒカルの血液を取り込んでは送り出していた。
それを見るたびに、昨日のことは夢じゃないんだなぁと実感して涙がにじんだ。

ここの病院には患者家族の宿泊施設が、最長1週間までの仮泊室と最長1ヶ月のコアラの家の2種類ある。
手術等で泊り込む時は基本仮泊室。
12日から泊まり始めて1週間経つので本来は退室しなければいけないのだけど、ヒカルの容態が落ち着いているとはいえ、いつ急変するか分からない状態なので、延長することに。

12/20
朝の面会時、ヒカルの顔が赤くて驚いた。
熱があるのかとモニターを見たら、体内温度が35度9分、でも表面温度が38度2分。
看護師さんに聞いたら、顔が赤いのは吸引したばかりだから。
38度なのはカイロの近くにセンサーがついてるから、だそう。
いまいち納得できなかったけど・・・。
あと、まぶたの浮腫みも増したように見える。

面会後は私の産後1ヶ月健診へ。
ヒカルのことが心配だったけどシャント手術で延期していたので、先生の許可を取り外出。
診察の結果は問題なし。
夕方、病院へ戻る。

12/21
ヒカルが安定しているのと長期の開胸で感染が心配になってくるのとで、人工心肺をはずすことに。
大きな人工心肺装置と一緒にオペ室へ移動するのは身体への負担を考えると危険なので、CCUでS先生とI先生が処置することになった。

予定では1時間くらいで終了。
でも家族控え室で待つこと2時間・・・。またしても時間がかかる。
閉胸の時のことがあるから『人工心肺すらはずせなかったらどうなっちゃうんだろう・・・』と気が気じゃなかった。

すると、関係者通路からS先生が出てきて何処かへ歩いて行ってしまった。
『あれ?終わったのかな?でも誰も呼びに来てくれないし・・・。』と不安なまま待っていたら、S先生が戻ってきた。

慌ててS先生に「すみません・・・」と話しかけたら、ヒカルの母と覚えていてくれたようでこちらが名乗ってないのに「無事に終わりましたよ。あれ?まだ呼ばれてませんか?もう30分くらい前に終わってるんですけど」と。

はぁ!?と思っていたら、「ちょっと看護師さん呼んできますね。お母さん心配ですもんねぇ。ごめんなさい」とS先生自ら呼びに行ってくれた。
あわわわ!!S先生がパシリに!!す、すみません!!

数分後、看護師さんが「遅くなってすみません。ベッド回りを片付けていたものですから」と小走りでやってきた。
点滴類とか沢山あるから間違えないように整理するのは分かるけど、せめて無事に離脱できたことだけでも先に教えて欲しかった!私がどんな気持ちで待ってたと思ってるんだぁー!!
・・・という言葉はガマンして、ヒカルのもとへ。

ゴウンゴウンいってた大きな装置はなくなって、少しだけすっきり。
I先生のお話でも、離脱中特に問題も起こらず済んだとのこと。
無事に離脱できて良かった・・・!!
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閉胸手術

2007.12/18
午後から術後の緊急時対応のために開けたままにしておいた胸を閉じる手術を行った。
担当医のI先生は別の手術のため、F先生とN先生の執刀。

閉胸手術のリスクは、出血、人工血管閉塞、長期で開胸したままによる感染、肺合併症。
生命リスクはかなり低いとのことだった。

私達も手術といっても胸を閉じるだけだから、と私だけで待機することに。
でもこの考えが甘かったと後で後悔する・・・。

手術は13時から2時間ほどの予定。
CCUから直接エレベーターでオペ室へ向かったため、CCUでお見送り。
「お父さんはお仕事でいないけど、ママはちゃんと帰ってくるの待ってるから頑張ってね」と頭と頬を撫でてあげた。

そしてオペ室横の家族控え室で待機。
けれど、予定の2時間を過ぎても終わったという連絡がない。
少し不安になりながらも、手術は予定時間オーバーするのは当たり前なのかもと思っていた。

そして3時間が経とうとするころ、私からの連絡がないのを心配した旦那からメール。
そのメールを返信してる時に、ようやく看護師さんが「先生の説明がある」と呼んでくれた。

説明に来てくれたF先生の口からは「結論から言いますと、閉じられませんでした」と予想外の言葉が。
“無事に閉じられました”という言葉が出てくると思っていた私は、思わず「えっ!?」。

説明によると、通常はシャントがしっかりついているか、圧迫されていないか等いろいろ確認してから胸を閉じていく。
ところが、その確認をする前にヒカルの心拍や血圧、サチュが突然どれも40台まで急激に下がったという。
その原因不明の発作が二度も起こった。
薬の点滴で2回とも持ち直したが、3回目が起こったら危険な状態になる。
生命維持を最優先にして閉胸は中止しました、と。

そして「僕は10年この病院にいますが、無脾のお子さんの閉胸でこういう発作が起こった例は過去2人しかいません」と言われた。
発作の原因はその時も分からなかったらしい。
他の病気では起こらず無脾の子だけに起こるので、何らかしら無脾の症状が起因しているとは考えられるが、無脾症候群自体まだ未知なことが多いからなんとも言えない。
今回も調べてみるがおそらく原因は分からないと思う、と。

無脾の子が多く通うこの病院でも過去に二例しかないって・・・。
うちの息子はどれだけ稀な子なのか・・・。
そういう事は特別じゃなくていいのに。

加えて「心臓の負担を減らして休ませるために人工心肺をつけました。大きな機械があるからびっくりしないでくださいね」と更に追い討ち。

“人工呼吸器”じゃなくて“人工心肺”・・・。

もう頭の中が真っ白で、面談室を出た後、説明に立ち会っていた看護師さんに「お母さん、大丈夫ですか?」と声を掛けられて我に返った。
「・・・とりあえず主人に連絡してきます・・・」とだけ答えるのがやっとだった。

旦那に電話で「閉じられなかった」と伝えると「時間がかかってるからイヤな予感はしたんだ」と言った。
続けて先生に言われたことを話していくうちに、どれだけ今が危険な状態かだんだん実感がわいてきて涙が出てきた。
旦那に「なんで」「どうして」と聞かれても「分からない」としか答えようがなく。

CCUに戻ってきたヒカルに会いに行くと、オペ室へ行く前より多くの点滴に囲まれ、先生が言った通り大きな人工心肺装置がベッドの足元にあった。
ヒカルの顔に手をあてると温かくて、生きてる安堵感ともう目を開けないんじゃないかという恐怖で涙が止まらなかった。

旦那もすぐ病院に駆けつけてくれて、一人で心細かった私は少しホッとした。
「お父さんがいなくて寂しかったんだね。来てくれたよ。よかったね」とヒカルに声をかけてあげた。
旦那もヒカルの顔を見て少し安心したのか「こういう呼び出し方は勘弁してくれよ」と言って撫でていた。

その後I先生が来て今回の状況とヒカルの容態、今後のことを説明。
2・3日様子をみて人工心肺から離脱、その後また数日様子をみてから再度閉胸、ということに。

この晩は旦那も泊り込み、シャント手術の時以上に不安な夜を過ごした。
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バンビ

Author:バンビ
先天性心疾患(無脾症候群)の息子・ヒカルと娘・ひなた、主人と私・バンビの家族の日記です。
ヒカルは2010年11月にフォンタンを終えて現在5歳。
幼稚園年長さんです。

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